「奇説」について考える

This is a Japanese translation of “On “fringe” ideas

By Kelsey Piper 2019年 8月19日

ブログへの質問

EAの主流から逸脱した部分に関してどのように思っていますか?

私は、EAを名乗る人たちが憶測によるエッセイを書くことに時間を費やしているのを見て、本当に腹が立ちます。例えば(最近出会った人たちの話から引用すると)、野生で生きる動物は苦しんでいるから野生動物の保護は実際には良いことではない、というようなものです。こういったことを考えるのは楽しいとは思いますが、これらがグローバルな発展や長期的な持続可能性といった課題に匹敵すると考える人が目指しているものと、私がEAとして目指しているものは全く異なります。

こちらに関してケルシーさんのご意見を聞かせていただけますでしょうか。ケルシーさんはどんなに主流から外れた奇抜なアイディアもきちんと評価してくれるので、いつも大変勉強になっています。

ケルシーの返答

このことを考える上で私の思考形成に大きな影響を与えたのは、効果的利他主義が歴史の中のさまざまな瞬間に存在していたと想像することです。私たちは何か良いことをしていたのでしょうか、それともその時代の前提にとらわれすぎていたのでしょうか?

1840年代の効果的利他主義運動は、奴隷制廃止運動を推進していたでしょうか?もし私たちが奴隷制に立ち向かうことに失敗していただろうと考えるのであれば、同じように大きな間違いを犯さないように、今、活動として何を変える必要があるでしょうか?

1920年代の効果的利他主義運動は、優生思想に支配されていたのでしょうか?もし私たちが進歩主義時代の不妊手術キャンペーンのような疑似科学的で非常に有害な運動を受け入れていただろうと考えるのであれば、どのような考え方や思考の習慣を持っていればこのような事態を防げたでしょうか?またその習慣を私たちは今日、積極的に用いているでしょうか?

効果的利他主義が強固に善であるためには、言い換えれば、巨悪を行う社会や、完全に見当違いの問いを中心とする社会、口先だけの「慈善家」の総意はあるものの実際には最悪の社会にあっても、善を行うことができる運動であるためには、多くのことが正しくなされていなければならないと私は思います。

まず実際に、最も必要としている人のためになることを行わなければなりません。昨年、GiveWell を通じてトップチャリティーに渡った寄付金は、6,500万ドル(約95億円)に増加しました(Good Ventures からの寄付金を除く)。もし、この数字が立派なものでなく、増加していなかったとしたら、コミュニティとして失敗しているのではないかと私は心配になっていたでしょう。私たちは実際の結果に対して責任を持つという実態の確認が必要なのです。実際に行動することが必要なのです。

次に、考えられるさまざまな世界観に照らし合わせて、私たちが行っていることが実際には害を及ぼしているというサインを常に監視する必要があります。これには、直感的でない世界観や、たいていの人のチャリティーへの考え方とは異なる世界観も含まれます。もし受け取り手が幸せでないなら、それは危険なサインです。私たちの努力が苦しみを増大させるのであれば、たとえそれが真剣には受け止めにくい変わった状況でも、それは危険なサインです。正しい答えが少なくとも手には入るように、私たちは考えられる失敗の仕方に対して、本当に、本当に広い範囲を視野に入れる必要があります。

次に、以下のような状況を想像してみてください。1840年代のEAグループに誰かが入ってきて「黒人は白人とまったく同じように価値があると思う。彼らを差別することは絶対に違法であるべきだ 」と言っています。あるいは、1920年代のEAグループに誰かが入ってきて 「同性愛者の権利は本当に重要だと思う」と言っています。私は、私たちがこういった人たちを追い出さないようなコミュニティでありたいと思っています。私たちが守るべき原則は、「気にかける(care)には値しないと世間で見なされている存在をもっと気にかけるべきであるという主張があるならば、たとえその主張がかなり不合理に聞こえたとしても、それを研究する人たちを支持する。そして、もし彼らが、すべての人の幸福と繁栄を可能な限り増大させると言う意図でその研究を行っているのであれば、彼らは私たちの活動の一員である」といったものになるでしょう。

これが、私が望む効果的利他主義を実践する上での、活動レベルの大原則です。ですから、社会は重要なことに関して大きく間違っているという考え方に対してオープンであり、より多くのことを気にかけるための努力を支援し、間違いうる方法に対しては広い視野を持ってより多くのことを考慮に入れてほしいと、私は思っています。最後に、これらの取り組みが実際に人々の役に立つような地に足の着いたものになるよう、具体的な優先事項に割り当てるリソースの増加とともに、上記のすべてが実現するようにしたいのです。

言い換えれば、どんな時でも確かで明らかに重要なことのために私たちの努力の大部分がささげられることを期待しています。それと同時に、より思索的なことを聞くためのスペース、特に以下のようなことに耳を傾けるためのスペースがあればいいと思います。(1)普通は気にかけようとも思わないようなことを気にかけるべきだという主張、(2)この社会が根本的かつ深刻に間違っているという主張、(3)私たちが重要な間違いを犯しているという主張。

なので、たとえその活動がかなり思索的であっても、たとえ私とは異なることを気にかけていても、公平で、善を最大化する、結果重視のやり方で、世の中にできるだけよいことをしようとしているのであれば、私がそういった人々にEAと名乗ってほしいと思う理由の一つの見方になるでしょう。

つまり、多くのEAメンバーが互いに全く異なる目標を持っていることになります。それでいいのです。EAメンバーがたった一つの優先事項を皆で共有することに反対する主な理由は、他の事項が最も重要であると説得され、優先していた活動から離れなければなくなった時に、自分たちの考えを変えることに非常に消極的になってしまうからです。何が一番重要なことなのかが明らかではない以上、公平で、善を最大化する、結果重視のやり方で、できるだけよいことをしようと、皆で挑戦する運動があったほうがよほど効果的なのです。

加えて、野生動物の苦しみは研究する価値がある分野だという非常に具体的な論拠があると思います。

今現在、動物、特に野生動物がどのような生活をしているのかはほとんど研究されていません。気候変動や環境対策、土地利用の変化に関する研究のなかで、これらの要素が動物の苦しみにどのような影響を与えているのかということを調べているものはほとんど皆無です。このような疑問に焦点を当てた新しい研究分野として、ウェルフェア・バイオロジーというものがあります。ウェルフェア・バイオロジーの基礎研究は、開発経済学や医学の基礎研究のように、今から10年後、どのような介入策が良いアイディアであるかの理解に劇的な影響を与えることになると思います。

ワクチンを開発する人やグローバル開発を研究する人にEAに入ってほしいように、ウェルフェア・バイオロジーを研究する人にもEAに入ってほしいと思っています。これは、上で述べた思索的な活動が一般的に良いという議論によるものではありません。この主張の核心は、「ウェルフェア・バイオロジーは、できるかぎり多くのよいことを行うことに関連する重要な研究課題を抱えている分野のように見える」ということです。この分野がまだ生まれて間もない段階であることを考えると、コアとなる論点がかなり不確かなものであるにもかかわらず、私はこの分野が10年後にはどのようになっているのかワクワクしています。

最後にもうひとつ。世界にはひどい問題が多くあり、それらの問題に取り組む一人一人にできることがたくさんあるため、誰かが時間を無駄にしているのを気にしないようにすることはなかなか難しいです。何しろ、その人が時間を有効に使えば、もっと良いことができるはずなのです!しかし、長期的には、最も重要なことについて誤った考えをしている人に腹を立てることは、持続可能ではないと思います。ここ数年で、物事を正しく理解することがいかに難しくて、現実はいかに複雑で緻密かということを痛感し、考え方が大きく変わりました。そのおかげで、完全に間違っていると私には思える人を見て、彼らが努力していることを嬉しく思い、彼らが進んでいる道の先に何か生産的な成果があるのではないかと期待することができるようになりました。EAで思索的な研究をしている人たちは皆、世界をより良い場所にしようと本当に深く考えていると思いますし、個人的には彼らの多くが的外れだと思いますが、それでも彼らの研究が、何かを解決するのに役立つ重要なことを教えてくれることを強く望んでいます。