実践的な例を挙げておく。典型的なイギリス人はその現役期間全体で、約 6,700ポンド(9,600米ドル)[3]を寄付する。この金額でおよそ1,900帳の蚊帳[4]を配布するための資金を提供できる(これは高い確率で約200人の子どもがマラリアで重症化するのを防ぎ[5]、少なくとも2、3人の命を救うだろう)。しかし自発的な寄付のほとんどは、国内の医療関連の慈善団体に向かう[6]。イギリスの国民保険サービス(National Health Service)は、健康寿命一年分のために費やすのに相応しい金額は25,000ポンドほどだとみなしている[7]。国内の慈善団体への寄付がこの数値を叩きだすというのはありそうにないから、典型的な寄付者のインパクトは、ありえたものよりもずっとずっと少ないものになるだろう。ありえた選択肢について考えていないというだけでは、そうした選択肢が存在しない理由にはならないことを思い出そう。
この計算には Aaginst Malaria Foundation が配布した蚊帳一帳毎に約5ドルという値を使っているが、この値は同団体が操業しているほとんどの地域に関しては正確な値である。一部の国々(例えばコンゴ民主共和国)では活動費が高くなるが、それでもせいぜい一帳当たり7.5ドルという高い数値になるくらいで、1,000帳はなおも配ることができる。
あなたが既に受け入れている四つの考え(つまりあなたは効果的利他主義と同じ前提に立っているかもしれない)
This is a Japanese translation of “Four Ideas You Already Agree With (That Mean You’re Probably on Board with Effective Altruism)”
あなたが既に受け入れているであろう4つの考えがある。そのうち3つはあなたの価値観に関するもので、ひとつは世界についてのある観察を述べたものである。個別に見れば、そのひとつひとつは何とも陳腐であるか、あるいは自明なものだ。しかし4つの考え方が合わさると、それらは、この世界で〈よいこと〉を行うことについての私たちの考え方に大きな含意をもつ。
問題の4つの考えとは、以下の通り。
他者を助けることは重要だ。──人びとが助けを必要としており、その人たちを助けることができるなら、助けるべきだ。私たちは、そうすることが道徳的な要求であるとさえ考えることもある。例えばほとんどの人びとは億万長者は何かしらを社会に還元すべきだと考える。しかし、意外かもしれないが、豊かな国に住み、中央値付近やそれ以上の賃金を稼いでいる我々は概して、地球上で上位5%を占める層に属している[1]。もしかしたら我々も、何かしらを社会に還元する余裕があるかもしれない。
人びとは[2]互いに平等である。── 置かれた状況が何であれ、幸福であり、健康であり、満たされ、自由であることを要求する資格を誰もが等しくもつ。どこに住んでいても、どれほどのお金持ちでも、民族や年齢、ジェンダー、能力、宗教的見解等々がどのようなものであったとしても、すべての人が〔等しく〕重要である。
より多くの人を助ける方が、より少ない人を助けるよりもいい。── その他の条件が等しければ、私たちはより多くの命を救うべきだし、人びとがより長く生きられるよう手を貸すべきだし、より多くの人をより幸福にすべきだ。病院の廊下に20人の病人が横たわっていて、あなたが薬を投与しなければ全員、死んでしまうような状況を思い浮かべてみてほしい。あなたは全員に投与するのに十分な量の薬をもっていて、薬を後々のためにとっておく理由もないとする。全員を救うのが、その一部の病人だけを救うのと同じくらい簡単なことであるとしたら、いったい誰が本気で、しかも特にこれといった理由もなしに、一部の病人だけを救うことを選ぶだろうか。
資源は限られている。―― 億万長者でさえ使えるお金の量には限りがある。このことは時間についても当てはまる。――一日に十分な時間があったためしがない。お金であれ時間であれ、ひとつの選択肢に費やすと決めることは、それを他の選択肢には使わないことを暗黙のうちに(そうした他の選択肢を考慮するかどうかにかかわらず)選ぶことである。
以上4つの考えはかなり異論の少ないものだと私は考える。困っている人を助けられるなら助けるべきだし、これといった理由もなく一部の人びとをその他の人びとよりも優先すべきではないし、選択肢が与えられているなら私たちは、より多くの人びとを助けることを優先するだろうし、私たちは無限の時間とお金をもっているわけではない。私の考えでは、以上はかなり直観的であるように思われる。
実際、誰かに向かって、上記の考えと対立する立場を擁護しようとする場合には、かなりの躊躇いを感じることだろう。
助けを必要とする誰かを助けることは道徳的に要求されることでも、重要なことでもなければ、それほどよいことでもない
人種やジェンダー、能力等々の恣意的な差異に基づいて人びとを異なる仕方で評価しても問題ない
何人かの命を助けるのに余計な費用がそれほどかからない場合でさえ、その人たちを助けないとしても問題はない
資源は際限なくある
お金は無限にはないのだから、我々は支援する価値のある課題領域を選ぶ必要がある。
したがって、最初の4つの考えが重要な価値をもつことに同意するなら──そして私はそうだと考えるのだが──〈よいこと〉を行うことについてのあるべき考え方に対して大きな含意が存在する。要するにそれは、〈よいこと〉を行うことについて、私たちが通常もつ考えが誤りであることを意味しているのだ。
上記の諸価値観に忠実であるためには、手持ちの有限な資源を使って最大数の人びとを助けるには、どうしたらよいのかを考える必要がある。
このことが重要なのは、少ない資金で大きなインパクトを生むことができる課題領域が一部にはあるからである。それどころか、最善の選択肢は平均値よりもずば抜けて大きなインパクトを生みだす──時にそれは何百倍も大きなインパクトになる。これはつまり、全く同じ量の時間と資金でひとりを助けることもできれば、何百人を助けることもできるということだ。
無造作に選ばれた慈善団体が最も効果的な慈善団体と同じくらい大きなインパクトを生みだすことがないのは、ほぼ確実である。(実際、我々が支援することを決めた多くの課題領域は、たまたま選ばれたものであったり、社会の構造上、私たちが特定のテーマにしか接することができないが故の結果であったりする。)
これは重要な点だ。というのもうまく選択を行わないなら、私たちは人びとを平等に考慮していない(すなわち、一部の層の人びとを暗黙裡に差別している)か、可能な限り多くの人びとを助けることをしていない(すなわち、私たちが助けることができたにもかかわらず、人びとが余計に苦しみ、死ぬことを許している)かのいずれかであるからだ。
だからまずは価値ある課題領域はすべて──がん研究から気候正義、アニマルサンクチュアリ、あるいは誰も訪れることがないような場所で発生する、名前が難しいだけで治療は簡単な病気の予防に至るまでありとあらゆる課題領域を──議論の俎上に載せるべきだ …. ただし、より多くの人びとを助けるほうがよりよいこと、全員を助ける資源をもたないと我々が理解していることに議論の余地はないが。だから我々は、自分が偶然耳にした課題領域だけではなく、限られた時間と資金で最大数の人びとを助けることができる課題領域に焦点を与えるべきだ。
殺虫剤処理された蚊帳の束を掲げるウガンダの女性たち(Giving What We Can の推薦団体のひとつ、Against Malaria Foundation から提供)
さまざまな課題領域に対して中立的な観点に立とうとするのは本当に難しい。ほとんどの人びとは直接、喪失を経験したことがある。例えば私はふたりの親戚を白血病で亡くしている。病が彼らの体を蝕み、痛み止めの薬がその心を霞ませるのを目撃し、死にゆく彼らの悲しみを分かち合い、一緒に生き抜いた。こうした経験から、自分の愛した人たちを奪った特定の問題の解決や病気の治療を目指す団体に寄付したいと思うようになるのは全く理解のできることだ。私たちは共感する能力をもった生き物で、他人が同じ苦しみを経験したり、彼らの愛する人が同じ悲しみを経験したりすることを望まない。
しかし人びとを平等に扱うことが大事だと思うなら、彼らの経験を平等に扱うことも大事だと考えるべきだ。マラリアや結核、交通事故あるいはその他のものによって引き起こされた苦しみよりも、(白血病のような)ある特定の病気が原因となった死や障害、苦しみの回避をほんの少しでも優先すべき正当な理由などない。問題なのは、人びとが天寿を全うできないこと、親が子を奪われ、人びとが苦痛の中を生きていることだ。平等を重んじることは、たまたま我々の注意をひいた──運命の残酷ないたずらによって私たちの視界に入った──特定の病気が引き起こしたものだけではなく、 あらゆる死と苦しみを悲劇として取り扱うことを意味している。
この決断を下すのは本当に、本当に難しい。しかし補助的な思考のツールが一式存在し、我々はそれを利用することができる。この考え方は効果的利他主義と呼ばれる。これは基本的には(他の人びとを助けることが重要だと強調する点で)通常の利他主義と同じだ── 「効果的」という語はただ、自分の行為によって最大数の人びとを助ける方法、あるいは最もよいことを行うための方法について、明示的に考えようとすることを意味している。
私の理解では、効果的利他主義とは、我々が既に抱いている価値観により見合った生き方をするための方法だ。
この思考方法は〈よいこと〉を行うその仕方がどんなものであれ──政治に変革を巻き起こそうとするのであれ、寄付先を決定するのであれ、自分のキャリアで大きなインパクトをもたらすのであれ── それに応用することができる。
この世界には取り組み甲斐のある課題が余りに多いため何をすべきか決められず、身動きが取れなくなった我々に、効果的利他主義の考え方は、限られた時間と資金を使って最大限〈よいこと〉を行う方法を体系的に見つけ出すことで、意思決定の麻痺した状態から抜け出す術を与えてくれる。
効果的利他主義は我々に、いくつかの難しい選択を迫る。しかしそうした選択について考えようが考えまいが、我々はともかく選択していることを思い出して欲しい。つまり、 個人的な理由からであれ、慈善団体の売り文句に納得したからであれ、本当に重要に思える何事かに寄付しないでいることは難しいとしても、そこに寄付することで、他の価値ある課題を犠牲にしていることも思い出そう。
実践的な例を挙げておく。典型的なイギリス人はその現役期間全体で、約 6,700ポンド(9,600米ドル)[3]を寄付する。この金額でおよそ1,900帳の蚊帳[4]を配布するための資金を提供できる(これは高い確率で約200人の子どもがマラリアで重症化するのを防ぎ[5]、少なくとも2、3人の命を救うだろう)。しかし自発的な寄付のほとんどは、国内の医療関連の慈善団体に向かう[6]。イギリスの国民保険サービス(National Health Service)は、健康寿命一年分のために費やすのに相応しい金額は25,000ポンドほどだとみなしている[7]。国内の慈善団体への寄付がこの数値を叩きだすというのはありそうにないから、典型的な寄付者のインパクトは、ありえたものよりもずっとずっと少ないものになるだろう。ありえた選択肢について考えていないというだけでは、そうした選択肢が存在しない理由にはならないことを思い出そう。
これまでに見てきた考え方──利他主義、平等、そして限られた資源を使って私たちにできる最大のことを成すことの重要性── についてよく考え、あなたにとって納得のいくものかどうかよく検討してほしい。
もしそうした考え方が納得のいくものだったなら、今後、この世界をどうしたらよりよい場所にできるのかを考える場合には、利他的であるだけでなく、効果的に考えることによって、そうした価値観も考慮に入れてほしい。
あなたが参加することができ、かつ我々が真に効果的だと考える活動
インパクトと費用対効果を根拠として推奨される慈善団体に寄付する。── 弊団体(Giving What We Can)の推薦団体や Givewell の最高慈善団体を参照。人間以外の動物の福祉を効果的に向上する慈善団体を支援したいのであれば、 Animal Charity Evaluators を参照。
生涯に渡って寄付し続けることを誓約する──8,720人(この数値は今も増え続けている)がその一生涯に得る収入の10%を最も効果的な慈善団体に寄付すると誓約し、860人は平均寿命と同じ年数の収入の1%かそれ以上を寄付することを誓約している。
80,000 Hoursからのキャリア・アドバイスを読み、真にインパクトの高いキャリアを選ぶ。
自分の地域や大学で効果的利他主義の集まりやディスカッション・グループを企画して、他の人たちにも、より大きな違いを生みだすことに関心をもってもらう。
計算に使用した値(32,140米ドル)は米国の25歳以上の個人収入の中央値だが、読者は自分自身の収入や国、世帯構成の詳細を代入して計算すべきだ。比較のために使える他の一般的な値は、24,062米ドル(米国在住の18歳以上の個人収入の中央値)、21,100英ポンド(イギリスの個人収入における第6分位数の中央値)、あるいは59,900豪ドル(オーストラリアのフルタイムワーカーが得る収入の中央値)。
この記事では便宜上「人びと」という語を使ったが、読者が人間以外の動物の福祉に関心をもつ場合にはもちろん、この語を「動物」や「感受性をもつ存在」等々と読み替えていい。── つまり、それでも本文の議論はすべて成り立つ。
Charities Aid Foundation, UK Giving 2014, p12 <https://www.cafonline.org/docs/default-source/about-us-publications/caf-ukgiving2014>. 毎月の典型的な寄付金の額(14ポンド)に12を掛け、それから40(典型的な人物が就労している期間)を掛けることでこの数値にたどり着く。
この計算には Aaginst Malaria Foundation が配布した蚊帳一帳毎に約5ドルという値を使っているが、この値は同団体が操業しているほとんどの地域に関しては正確な値である。一部の国々(例えばコンゴ民主共和国)では活動費が高くなるが、それでもせいぜい一帳当たり7.5ドルという高い数値になるくらいで、1,000帳はなおも配ることができる。
White, MT. “Costs and cost-effectiveness of malaria control interventions …” 2011. <https://malariajournal.biomedcentral.com/articles/10.1186/1475-2875-10-337>
Charities Aid Foundation, UK Giving 2014, p14 <https://www.cafonline.org/docs/default-source/about-us-publications/caf-ukgiving2014>
https://www.nice.org.uk/news/blog/carrying-nice-over-the-threshold