独立した印象

This is a Japanese translation of “Independent impressions

By MichaelA 2021年9月27日

何かについて抱く独立した印象とは、仲間との意見の相違を踏まえて自分の考えを改めなかった場合に、基本的にその事柄に関して信じていることです。(つまり、他の人が何を信じていてるかについて知っていることや、その話題について他の人の判断がどれほど信頼できそうかに関してあなたが知っていることを考慮しなかった場合のあなたの考えです。)独立した印象は、他人が信じている理由(あなたが知る限り)を考慮することもありますが、他人がそのことを信じているという単なる事実は考慮しません。

一方、すべてを考慮した考えでは、仲間との意見の不一致も考慮に入れることもあります(おそらく、そうすべきです!)

この考え方ともに、私は以下の認識的・議論的規範を守るようにしており、これらの規範を読者の皆様も使うことをお勧めします。

  • 私は、自分自身の独立した印象を、すべてを考慮した考えとは別に把握するよう心がけています。

  • 自分の独立した印象がその分野においてより専門的な知識を持つ人々の印象と異なることが分かっている場合でも、自分自身の独立した印象を安心して報告できるよう心がけています。

  • 独立した印象を述べているのか、それともすべてを考慮した考えをを述べているのか、事あるごとに明確にするよう心がけています。

私がこれらの規範を持つ理由の一つは、「情報カスケード」を避けるためです。

一方で、実際に意思決定を行う時は、すべてを考慮した考えに基づいた決定になるよう、常に心がけています。

例えば、私の独立した印象では、修復不可能なディストピアの方が絶滅よりも起こる可能性が高く、そういったリスクへの対処を現状より優先させるべきだと考えています。しかし、この意見は、存亡リスクについてよく考えている人たちの間では比較的珍しいものだと思われます。このことを踏まえると、私のすべてを考慮した考えは、私の独立した印象からはやや離れていき、存亡リスクについてよく知った多くの人が考えていると思われることに近づいていきます。そして、このすべてを考慮した考えが、私の研究とキャリアにおける決断の指針となっているのです。それでも、私自身の独立した印象を把握し、これを時折報告することは、有益な事だと思っています。そうでないと、私の属するコミュニティは、自信過剰で均質な考えを持つようになってしまうかもしれません。

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