This is a Japanese translation of “The world is awful. The world is much better. The world can be much better.”
by Max Roser2022年7月20日
この3つの言明が互いに矛盾すると考えるのは間違いだ。より善い世界が可能であることを見て取るためには、この3つの言明がすべて真であることを理解しなければならない。
この世界は酷い場所だ。この世界はかなり善くなった。この世界はもっと善くなれる。
この世界の現状に関する論議は第一の言明にばかり注目するばかりだ。ニュースはいつも、社会でうまくいっていないことを強調するばかりで、進歩や発展にはほとんど言及しない。しかし、そのナラティブに逆張りして、逆の極端に走るのも有害だ。この世界の進歩だけを伝えるのは役に立たないばかりか、こんにち真に存在する様々な問題を塗りつぶして見えなくしてしまう場合には、その欺瞞に嫌悪感を感じすらする。
こうした両視点のうち、一方のみを鵜呑みにしないでいようとするのは難しい。しかし、より善い世界が可能であることを見てとるためには、その両方の視点が同時に正しいこと、つまりこの世界は酷いものだが、かなり善くなってもいることを理解する必要がある。
私が意図することを説明するために、人類最大の悲劇のひとつである、「子どもの死」を例にしよう。なお、同じことは世界の他の問題の多くにも当てはまる。人類は多くの課題に直面し、事態は時間をかけて改善してきたが、それでも酷い事にはかわりなく、さらなる改善が可能であることを、私たちは知っている。[1]
地球上の子どもたちの 4.3% が15歳の誕生日を迎える前に亡くなる。これは2020年の最新のデータだ。
つまり590万人の子どもたちが毎年亡くなっている。平均では一日16,000人、一分毎に十一もの子どもが亡くなっているのだ。[2]
明らかに、何千もの悲劇が日ごとに起きている世界は酷い世界だ。
歴史の大きな教訓は、ものごとは変わるということだ。しかしかつての生活水準の悲惨さを想像するのは難しく、そのために、この世界のこれまでの変化を把握するのも難しい。
データは大きな変化を心で把握できるようにする。歴史学の知見によると、過去には子どもの約半数が、思春期を向かえることなく死んでいたと推定されている。これは、子どもが世界のどこで生まれても変わらなかった。ほんの数世代前の19世紀になってようやく、この状況に変化の兆しが芽生えた。[3]
想像するのは難しいが、こんにちでもっとも生活水準が低い地域ですら、子どもの死亡率は過去のどの場所よりも圧倒的に改善している。世界でもっとも豊かな国でさえ子どもの死亡率はごく最近まで非常に高かった。現在、子どもの死亡率がワースト1であるソマリアでは、14%の子どもが亡くなっている。[4] しかし、たった数世代前には、もっとも生活水準が高かった地域でさえ、子どもの死亡率はソマリアの3倍だった。[5]
私たちが歴史から学ぶのは、世界を変えることは可能である、ということだ。不幸なことに、生活水準の変化に関する長期的なデータが学校で教えられることはほとんどなく、メディアで取り上げられることもほとんどない。結果、多くの人々は世界でもっとも根本的でポジティブな発展にも全く気づいていないのだ。
しかしこの事実── この世界を変えることは可能であり、社会全体に桁外れの進歩をもたらすことができること── は、誰もが知るべきことだ。
世界が変革可能であることを、これまでの進歩が示している。しかしこの進歩が将来も続くと我々は知ることができるだろうか。あるいは、もしかして私たちは、進歩がそこで停止する、歴史上、不運な瞬間に生まれたのではないだろうか。
地球上の様々なデータを検討することで見えてくる答えは「ノー」である。
このことを理解するひとつのやり方は、こんにち、世界最高水準の生活レベルに達している場所を見てみることだ。これらの地域を見てみれば、子どもの死亡率を相当程度下げることは、単に可能であるというだけではなく、既に現実であることが分かる。
子どもの生存率が世界一高い地域はEUである。そこでは、99.55%の子どもがその幼少期を生き延びる。[6]
この世界がどれほど善くなることが可能なのかを見て取るために、この EU における状況があらゆる場所で実現したらどうなるだろうかと考えてみるといい。世界中の子供たちが EU の子どもたちと同じくらいの生活水準に達するとどうなるか。実に亡くなる子どもの数は毎年500万人減少することになる。[7]
もちろん EU での子どもの死亡率はまだ高すぎるし、進歩がここでストップすべき理由もない。白血病などの癌や脳腫瘍はこんにち最も豊かな国々でさえ、〔毎年〕何百人もの子どもたちの命を奪っている。こうした悲劇的な死を防ぐ方法を見つけるべく私たちは全力を尽くすべきだ。
しかし子どもたちの痛みや苦しみを防ぐ最大の機会はより貧しい国々にある。そうした場所では、事態を改善しうるというだけではなく、どうしたら状況を改善できるのかも知られている。
この世界をよりよい場所にする方法に関する次の研究を利用して、あなた自身、この進歩に貢献することができる。私が推奨するのは、非営利団体であるギブウェル(GiveWell.org)が公開している研究だ。GiveWell のチームは、あなたの寄付が他者の生に最大の好影響をもたらせるよう、何年もかけて最も費用対効果の高い慈善活動を特定してきた。推奨されている慈善活動のいくつかは子どもたちの健康を改善することに焦点を当てており、あなた自身が子どもの死亡率を下げる機会を示してくれている。
子どもの死を防ぐ方法についての研究と、EUにおける子どもの死亡率が世界平均の10分の1以下であるという事実は、私たちに何が可能かを示してくれる。何百万人もの子供たちの死は回避可能なのだ。この世界をよりよい場所にすることが可能であることを、私たちは知っている。
ニュースは頻繁に、この世界の惨状に焦点を当てる。悪いニュースは視聴率を稼げるし、積極的な変化を巻き起こすよう人々を誘導するよりも、人びとを怖がらせる方が簡単だからだ。
この世界の欠点を私たちが知っているのは重要なことだと私も思う。しかし、私たちが既に達成してきたこと、そして将来可能なことの規模を考えると、私たちの置かれた状況の酷さだけを報道するのは無責任だと思う。
この世界がよりよい場所になったということを理解するからといって、私たちが極めて深刻な問題に直面していることを否定することにはならない。むしろその反対に、たとえ私たちがあらゆる可能な世界のなかで最善のものに到達していたとしたら、私は、ここに至るまでの過程に関する執筆や調査に没頭しなかっただろう。この世界はなおも酷い状態だからこそ、この世界がこれまでに、どうやってよりよい場所になったのかを理解することがとてつもなく重要なのだ。
私たちが自分たちの文化を変えて、進歩のこの可能性をより真剣に受け取ることができたらと願う。これは解決可能な課題だ。私たちにはデータもあれば研究もある。しかし私たちは現在これを活用していない。そうしたデータはしばしばアクセスのできないデータベースに保管され、研究結果は課金の壁に阻まれ、有益な情報は難解な学術用語の山に埋もれている。私たちは Our World in Data を使ってこの現状を変えたい。
もしもっと多くの人々に自身のエネルギーと財産をこの世界をよりよい場所にすることに使って欲しいと思うなら、この世界をよりよい場所にすることは可能であるということを、私たちはもっと広く知らしめなければならない。
数多くの根本的な点で――あらゆる点ではないのは明白だが――私たちは極めて実質的な進歩を達成した。実質的な進歩を達成したのは、例えば教育や政治的自由、暴力、貧困、栄養状態、そして環境変化の一部の側面である。私の書いた世界の生活水準小史を参照せよ。
歴史的なデータを除けば、この記事のデータはすべて IGME の乳幼児死亡率推定のための国連合同グループから取られている。このグループはここ(childmortality.org/data/World)でデータを公開している。2020年時点での5歳以下の乳幼児の死亡数に関する彼らの点推定は、5,040,610人。5歳から14歳までの年齢の子どもの死亡数の推定は、868,942人。合計すると 5,040,610+868,942=5,909,552人 となる。つまり平均では、一日当たり5,909,552/365.25=16,180人の子どもが亡くなっており、毎時5,909,552/(365.25*24)=674.1人の子どもが、そして毎分5,909,552/(365.25*24*60)=11.2人の子どもが亡くなっている。
もしも私たちが祖先と同じ貧しい健康状態を耐えていたとしたら、6千万人以上の子どもたちが毎年亡くなっていたことになる。その時点での地球全体の出生数が分からないため、その時点で実際にどれくらいの数の子どもが死亡するのかは分からない。1950年代と1960年代には出生率と死亡率両方の推定が存在し、記録によれば、毎年2千万人の子どもたちが死亡していた。ここで閲覧可能なデータを参照せよ。
私たちが作成した15際以下の子どもの死亡率チャートを参照せよ。
「過去の死亡率――約半数が子どものうちに死んでいた」の中のデータを参照せよ。
ひとつひとつの国に着目すると、この違いはより著しいものになる。というのも最も健康な国では、子どもの死亡率はEU全体のときの約半分にさらに減るからだ。こんにち最も死亡率の低い国はサンマリノ、アイスランド、ノルウェー、シンガポール、そしてスロベニアである。これらの国では99.7%の乳幼児が生存している。このチャートが示しているのは各国のランキングだ。しかしこうした国のいくつかは小さいため、私がこの文章を書くとき、ひとつの国からのデータに依拠することはせず、毎年何百万人もの子どもが生まれている世界のより広い地域を引き合いに出した。
上で報告されているような、地球全体での子どもの死亡数は 5,909,552人 だ。地球全体の死亡率が4.5%ではなく0.45%であるなら、子どもの死亡数は5,909,552-5,909,552/(4.3/0.45)=5,291,111人少なかっただろう。
この世界は酷い場所だ。この世界はかなり善くなった。この世界はもっと善くなれる。
This is a Japanese translation of “The world is awful. The world is much better. The world can be much better.”
by Max Roser
2022年7月20日
この3つの言明が互いに矛盾すると考えるのは間違いだ。より善い世界が可能であることを見て取るためには、この3つの言明がすべて真であることを理解しなければならない。
この世界は酷い場所だ。この世界はかなり善くなった。この世界はもっと善くなれる。
この世界の現状に関する論議は第一の言明にばかり注目するばかりだ。ニュースはいつも、社会でうまくいっていないことを強調するばかりで、進歩や発展にはほとんど言及しない。
しかし、そのナラティブに逆張りして、逆の極端に走るのも有害だ。この世界の進歩だけを伝えるのは役に立たないばかりか、こんにち真に存在する様々な問題を塗りつぶして見えなくしてしまう場合には、その欺瞞に嫌悪感を感じすらする。
こうした両視点のうち、一方のみを鵜呑みにしないでいようとするのは難しい。しかし、より善い世界が可能であることを見てとるためには、その両方の視点が同時に正しいこと、つまりこの世界は酷いものだが、かなり善くなってもいることを理解する必要がある。
私が意図することを説明するために、人類最大の悲劇のひとつである、「子どもの死」を例にしよう。なお、同じことは世界の他の問題の多くにも当てはまる。人類は多くの課題に直面し、事態は時間をかけて改善してきたが、それでも酷い事にはかわりなく、さらなる改善が可能であることを、私たちは知っている。[1]
この世界は酷い
地球上の子どもたちの 4.3% が15歳の誕生日を迎える前に亡くなる。これは2020年の最新のデータだ。
つまり590万人の子どもたちが毎年亡くなっている。平均では一日16,000人、一分毎に十一もの子どもが亡くなっているのだ。[2]
明らかに、何千もの悲劇が日ごとに起きている世界は酷い世界だ。
この世界はかなり良くなった
歴史の大きな教訓は、ものごとは変わるということだ。しかしかつての生活水準の悲惨さを想像するのは難しく、そのために、この世界のこれまでの変化を把握するのも難しい。
データは大きな変化を心で把握できるようにする。歴史学の知見によると、過去には子どもの約半数が、思春期を向かえることなく死んでいたと推定されている。これは、子どもが世界のどこで生まれても変わらなかった。ほんの数世代前の19世紀になってようやく、この状況に変化の兆しが芽生えた。[3]
想像するのは難しいが、こんにちでもっとも生活水準が低い地域ですら、子どもの死亡率は過去のどの場所よりも圧倒的に改善している。世界でもっとも豊かな国でさえ子どもの死亡率はごく最近まで非常に高かった。現在、子どもの死亡率がワースト1であるソマリアでは、14%の子どもが亡くなっている。[4] しかし、たった数世代前には、もっとも生活水準が高かった地域でさえ、子どもの死亡率はソマリアの3倍だった。[5]
私たちが歴史から学ぶのは、世界を変えることは可能である、ということだ。不幸なことに、生活水準の変化に関する長期的なデータが学校で教えられることはほとんどなく、メディアで取り上げられることもほとんどない。結果、多くの人々は世界でもっとも根本的でポジティブな発展にも全く気づいていないのだ。
しかしこの事実── この世界を変えることは可能であり、社会全体に桁外れの進歩をもたらすことができること── は、誰もが知るべきことだ。
この世界はもっと善くなれる
世界が変革可能であることを、これまでの進歩が示している。しかしこの進歩が将来も続くと我々は知ることができるだろうか。あるいは、もしかして私たちは、進歩がそこで停止する、歴史上、不運な瞬間に生まれたのではないだろうか。
地球上の様々なデータを検討することで見えてくる答えは「ノー」である。
このことを理解するひとつのやり方は、こんにち、世界最高水準の生活レベルに達している場所を見てみることだ。これらの地域を見てみれば、子どもの死亡率を相当程度下げることは、単に可能であるというだけではなく、既に現実であることが分かる。
子どもの生存率が世界一高い地域はEUである。そこでは、99.55%の子どもがその幼少期を生き延びる。[6]
この世界がどれほど善くなることが可能なのかを見て取るために、この EU における状況があらゆる場所で実現したらどうなるだろうかと考えてみるといい。世界中の子供たちが EU の子どもたちと同じくらいの生活水準に達するとどうなるか。実に亡くなる子どもの数は毎年500万人減少することになる。[7]
もちろん EU での子どもの死亡率はまだ高すぎるし、進歩がここでストップすべき理由もない。白血病などの癌や脳腫瘍はこんにち最も豊かな国々でさえ、〔毎年〕何百人もの子どもたちの命を奪っている。こうした悲劇的な死を防ぐ方法を見つけるべく私たちは全力を尽くすべきだ。
しかし子どもたちの痛みや苦しみを防ぐ最大の機会はより貧しい国々にある。そうした場所では、事態を改善しうるというだけではなく、どうしたら状況を改善できるのかも知られている。
この世界をよりよい場所にする方法に関する次の研究を利用して、あなた自身、この進歩に貢献することができる。私が推奨するのは、非営利団体であるギブウェル(GiveWell.org)が公開している研究だ。GiveWell のチームは、あなたの寄付が他者の生に最大の好影響をもたらせるよう、何年もかけて最も費用対効果の高い慈善活動を特定してきた。推奨されている慈善活動のいくつかは子どもたちの健康を改善することに焦点を当てており、あなた自身が子どもの死亡率を下げる機会を示してくれている。
子どもの死を防ぐ方法についての研究と、EUにおける子どもの死亡率が世界平均の10分の1以下であるという事実は、私たちに何が可能かを示してくれる。何百万人もの子供たちの死は回避可能なのだ。この世界をよりよい場所にすることが可能であることを、私たちは知っている。
この世界は酷い場所だ。だからこそ、人類のこれまでの進歩や、これから可能な進歩について知る必要がある。
ニュースは頻繁に、この世界の惨状に焦点を当てる。悪いニュースは視聴率を稼げるし、積極的な変化を巻き起こすよう人々を誘導するよりも、人びとを怖がらせる方が簡単だからだ。
この世界の欠点を私たちが知っているのは重要なことだと私も思う。しかし、私たちが既に達成してきたこと、そして将来可能なことの規模を考えると、私たちの置かれた状況の酷さだけを報道するのは無責任だと思う。
この世界がよりよい場所になったということを理解するからといって、私たちが極めて深刻な問題に直面していることを否定することにはならない。むしろその反対に、たとえ私たちがあらゆる可能な世界のなかで最善のものに到達していたとしたら、私は、ここに至るまでの過程に関する執筆や調査に没頭しなかっただろう。この世界はなおも酷い状態だからこそ、この世界がこれまでに、どうやってよりよい場所になったのかを理解することがとてつもなく重要なのだ。
私たちが自分たちの文化を変えて、進歩のこの可能性をより真剣に受け取ることができたらと願う。これは解決可能な課題だ。私たちにはデータもあれば研究もある。しかし私たちは現在これを活用していない。そうしたデータはしばしばアクセスのできないデータベースに保管され、研究結果は課金の壁に阻まれ、有益な情報は難解な学術用語の山に埋もれている。私たちは Our World in Data を使ってこの現状を変えたい。
もしもっと多くの人々に自身のエネルギーと財産をこの世界をよりよい場所にすることに使って欲しいと思うなら、この世界をよりよい場所にすることは可能であるということを、私たちはもっと広く知らしめなければならない。
数多くの根本的な点で――あらゆる点ではないのは明白だが――私たちは極めて実質的な進歩を達成した。実質的な進歩を達成したのは、例えば教育や政治的自由、暴力、貧困、栄養状態、そして環境変化の一部の側面である。私の書いた世界の生活水準小史を参照せよ。
歴史的なデータを除けば、この記事のデータはすべて IGME の乳幼児死亡率推定のための国連合同グループから取られている。このグループはここ(childmortality.org/data/World)でデータを公開している。2020年時点での5歳以下の乳幼児の死亡数に関する彼らの点推定は、5,040,610人。5歳から14歳までの年齢の子どもの死亡数の推定は、868,942人。合計すると 5,040,610+868,942=5,909,552人 となる。
つまり平均では、
一日当たり5,909,552/365.25=16,180人の子どもが亡くなっており、
毎時5,909,552/(365.25*24)=674.1人の子どもが、そして
毎分5,909,552/(365.25*24*60)=11.2人の子どもが亡くなっている。
もしも私たちが祖先と同じ貧しい健康状態を耐えていたとしたら、6千万人以上の子どもたちが毎年亡くなっていたことになる。その時点での地球全体の出生数が分からないため、その時点で実際にどれくらいの数の子どもが死亡するのかは分からない。1950年代と1960年代には出生率と死亡率両方の推定が存在し、記録によれば、毎年2千万人の子どもたちが死亡していた。ここで閲覧可能なデータを参照せよ。
私たちが作成した15際以下の子どもの死亡率チャートを参照せよ。
「過去の死亡率――約半数が子どものうちに死んでいた」の中のデータを参照せよ。
ひとつひとつの国に着目すると、この違いはより著しいものになる。というのも最も健康な国では、子どもの死亡率はEU全体のときの約半分にさらに減るからだ。
こんにち最も死亡率の低い国はサンマリノ、アイスランド、ノルウェー、シンガポール、そしてスロベニアである。これらの国では99.7%の乳幼児が生存している。このチャートが示しているのは各国のランキングだ。しかしこうした国のいくつかは小さいため、私がこの文章を書くとき、ひとつの国からのデータに依拠することはせず、毎年何百万人もの子どもが生まれている世界のより広い地域を引き合いに出した。
上で報告されているような、地球全体での子どもの死亡数は 5,909,552人 だ。地球全体の死亡率が4.5%ではなく0.45%であるなら、子どもの死亡数は5,909,552-5,909,552/(4.3/0.45)=5,291,111人少なかっただろう。